IE9ピン留め

おつかれさま

いいことばかりあった訳じゃあない。
悪いことばっかでもなかった。
この一年をふりかえると、そういう普通の想いにたどり着く。

ラッキーもアンラッキーも、いきなり飛んでくるものではなく
自分が撒いた種、歩いた跡、そんなところからニョキっと生えてくるもんだ。

毎朝、仕事にいって、夜は家でテレビ見たりゴハン食べたりして、そんな繰り返しの中でも
こうしてふりかえると、たくさんの笑顔を頂いていたようです。
つまりは、どちらかというと、良い思いのほうが多かったかもしれない。
沢山の人が、誰かの役に立ちたいと、積極的な思いを持ったのが
今年だったと感じていますし、自分もそうやって突き動かされた沢山の中の一人です。

家族に感謝。
故郷に感謝。
国に感謝。
会社に感謝。
同僚に感謝。
友人達に感謝。
朋友・拳友に感謝。
生徒さん達に感謝。
快く演武させて戴いた各団体に感謝。
老人ホームの皆さんに感謝。
ネットで知り合えた友人達に感謝。
おいしいご飯に感謝。
あったかい服に感謝。
通勤で使うマイカーに感謝。
映画に感謝。
ギターに感謝。
ロックンロールに感謝。
空の上の両親に感謝。

みんな、良いお年を!!
# by chienstyle | 2011-12-28 18:08 | 真面目な言葉 | Comments(3)

坂の上の感想

大河ドラマ最終ラウンド。その第二回目はついに二百三高地の激戦。
すばらしい。ここ数年にわたっての大河への不満や鬱憤を
スカッと吹き飛ばしてくれた回であった。
受信料払っててよかったと思いましたよ。
録画して、もう今週は三回も見てしまった。

このドラマの企画段階からついてまわった、
戦争賛美、戦争反対の論争?も、関係ない。
悲惨な部分、勇壮な部分、光と影をかたよる事なく
作られていたように思えた。
28サンチ砲が、高地の上空を越えて港へと飛んでいくシーンは
うすっぺらな恋愛ドラマなんて歯も立たない。
努力を積み上げ、一つしかない命を盾に、
互いに力を出し切って戦った結果のシーンだ。
誰が正義でも悪でもない。あの時代の懸命に生きた人々のドラマだ。
つまりは、自分のひいジイサン達の青春の時代だ。

キャスティングでは、
なにより乃木サンと大山サンがいい。
柄本明サンのたたずまいと、米倉斉加年サンの飄々とした薩摩弁。


原作を読んだのは、ハタチの頃だったか。
バイト先の冷蔵庫工場の行き帰り、小田急線にゆられながらだったと思う。
この時期に、司馬遼太郎のほとんどを読破した。
「坂の上の雲」の前に、「殉死」を読んでいたので、
第三軍と乃木大将の描写の部分には、かなりの司馬遼太郎史観が刷り込まれて読み進めていたと思う。つまり乃木大将とその幕下を悪玉として見てしまう、無能な司令部ゆえの悲劇であったと。


ドラマが原作を超えるなんて、まず無い事で、たいては映像化されたものを見てガッカリとするけれど、今回に関しては、ドラマの勝ちかなあと。
もちろんすべてに納得がいくわけでもなく、今回の大河にしても、違う…残念…なんて感じる部分はたくさんある訳で。それでもこの第二回に関しては、正直にすばらしいと感じる。脚本も演出も演技も、はるかに予想を超えたレベルで、ガツンときました。
世上にへつらわない、真剣勝負のドラマが、これから増えますように。
# by chienstyle | 2011-12-16 15:07 | 練習だ | Comments(0)

砲捶

陳式太極拳二路の事を、砲捶といいます。
はじめてこの言葉を知ったのは、中学生でした。
もうワクワクして、妄想して、あこがれて、
砲捶を習う事ができたら、世界最強になれるのに…
でもそれはかなわぬ夢なのか…。ああ幻の太極拳の秘伝よ…。
などと思っていたものです。

砲捶どころか、二十四式を習う所さえもなかったあの頃。
インターネットなんて、その言葉さえなく、ビデオすらも皆無。
たのみの綱は、書籍のみ。文章と写真をにらみつけ、
一字一句を彫るように頭にいれながら夢中で写真を真似ていたものです。
もちろんそれらの書籍にも、砲捶については数行の説明があるのみで、まったく謎の状態です。

実際に老師から砲捶を習うまで、初めての文章との出会いから数えて、20年かかりました。
長い長い片思いがやっと実ったわけです。
三十代の真ん中でした。それはもう張り切って、ドッカンドッカンと練習しました。
まあ、年齢を重ねていくと、砲捶を打つのは、だんだんときつくなってくるのですが、
それなりの味の出し方があって、多少ゆっくりでも緩急をつける事で、
キレのある砲捶が打てるようになっていきたいですね。

学んだ砲捶は老架式でした。老架一路を学んで五年目くらいに二路(砲捶)に進む事ができました。
ところがその後、新架一路を学んでいる途上で、あせりだしました。
新架式の二路は、ほとんど少林拳。五十歳になるまでには、覚えておきたいのだけれど…。
今のペースではギリギリか…、と考えていましたが、
なんとかフライング気味に二年前から新架二路を学ぶ事ができました。まだまだヘタクソです。

それでもなんとなく、その時に自分の太極拳に一つの区切りがついた気がしました。
もう新しい套路(型)・技を追いかける必要はなくなったのかな、
これからは学んできたものを、もっと掘り下げ、
もっと理解していく事にエネルギーを向ける時期だなと。
砲捶へのあこがれが、太極拳へのあこがれとなり、
ここまで自分を引っ張ってくれたのかもしれません。

そして今は、太極拳を楽しむ仲間達に、
教室という形で陳式太極拳の老架一路を教える事ができています。
もちろん、仲間達に目指してもらいたいのは、老架二路(砲捶)です。
そこまでの高さの山へ案内していきたいのです。
そこでどんな景色が見えるのか、仲間達に感じてもらいたいわけです。
やった人間にしか理解出来ない事ですが、一路をとばして二路をやっても、
それは違うものだと断言できます。
砲捶は、打撃の組み合せ方法、招式カタログといったものではなく、
身体を開放する事を知るために必要だと思います。
これが最初の段階かと。

とても思い入れが強く、大事にしている二路です。
積み重ねたものがなければ、ただの運動量のある体操にしかなりません。
自分のレベルを考えれば、おこがましい事でありますが、
やっぱり本物を、正しいものを、少人数でも少しづつでも紹介して、広げていきたいと、
勝手に使命感に燃えてやっていこうと思います。
# by chienstyle | 2011-12-07 18:05 | 練習だ | Comments(1)

レイトな日々

九月のとある夜、
映画「日輪の遺産」をレイトショーで見る。

十月のとある夜、
映画「一命」をレイトショーで見る。

年を重ねていく度に、本当に好みが偏ってくる。
ハリウッド製の映画なんて、もう何年見てないだろうか…。

そして今月、今のところ候補は「1911」か「新少林寺」だろうか。
どちらもジャッキーが出てるなあ。
でも「素敵な金縛り」をまだ見てなかったし…。


レイトショーは1200円。仕事の帰りにちょうど良い。
閉店後のショッピングモール内を、
非常階段を使って駐車場までいくのも、
以外に楽しいものだ。

ただ、レイトショーはさびしい。客が少ない。
「日輪の遺産」なんて、一人でした…
完全無欠の貸切状態でした。

「一命」は、十人くらいだったか…。
どちらも、すごくおもしろい作品でした。

しかし「一命」の海老様は、別格でした。あれはもう反則。

なんだかんだ叩かれても、あの人は逸材ですね。
男でもしびれてしまうねえ。
# by chienstyle | 2011-11-14 18:10 | 練習だ | Comments(0)

陳式の宣伝をば

何故に私は陳式太極拳を好むのか? あまたある太極拳の種類の中で、
どうして陳式でないといけないのか?
ひと言でいうと
「アなたガ…好きタカラ!!」
としか答えようがないのですが。

ここは、私の地域ではマイノリティーな陳式太極拳の宣伝の場と考えて、
理屈をこねて考えてみましょう。


その1
「本物であるという事」
しかし、本物の太極拳という定義は、難解です。
「私のは本物よ! なぜかっていうと…」
・大会のチャンピオンから習っているから。
・北京大学に留学してたから。
・教えてくれる先生が、発祥の地出身だから。
・日本最大規模の団体の指導カリキュラムに沿って段を取っているから。
・戦ってみたら自分より強かったから。
・習っている先生が指導員免状を持っているから
等々、本物の定義はたくさんありますね。ありすぎて困ります。
では、逆に「偽物である」場合はと考えると、
・下手である。
・弱い。
・嘘をつく。
でしょうかね。素人や初心者には見抜く事ができないからタチが悪いです。
つまりは本物であるという事を、誰からも文句がでないように定義するのは
どうやら無理みたいです。あー、無理!と言いきるのは、ある意味気持ちよいですが、身もフタもありません。
ですから、私のリスペクトする、はるか仰ぎ見る先生の言葉を借りますと、
次のようになります。
「太極拳は身体の運動、武功技法、そして基礎理論の三大要素より構成され、中国伝統文化、武術、芸術及び養生理論を一体化したものである」
であります。
そして私が学んでいる陳式太極拳には、この言葉が当てはまります。
ですから、少なくとも私にとっては、本物だといえます。
しかし、すべての陳式太極拳が同じように本物だとは思ってません。

その2
套路が関連しており、絞り込まれている事。
套路というのは型の事です。
太極拳は型を覚える事を通して、身体操作を開発・発見できるものです。
武器や対人練習や筋トレもありますが、練習の中心は套路です。
陳式太極拳の套路は、ステップアップ式に変化をしていきます。
太極拳一年生と太極拳二年生では、同じ套路でも動きが少しづつ変わってきます。
一路という套路を学ぶと、二路という套路を学びます。
そして刀・剣・槍といった武器の套路も学ばないといけません。
そしてそれはすべて繋がっているので、学び進んでいくほどに、
太極拳の理解度が増していきます。
私が学んでいる所では、老架一路、老架二路、刀、剣、槍、新架一路、新架二路などがあります。

その3
抽象的なイメージで自分を偽らない。
ヨガや気功のように、精神世界を遊ぶ部分を含む内容(気や勁)ですらも、陳式太極拳は直接的・具体的であります。
動作の理解・説明には、常に対人イメージがあり、武術というバックボーンを持ち続けている。
ゆっくりなら健康体操で、早い動きなら武術であるといった、短絡的な理解ではなく、
リラックスした自然な動きこそが、武術としても健康としても精神面にも効果的であるという伝統を、今に継承し、具体的に矛盾なく伝承され続けているものだからです。
この抽象的な部分をデフォルメして、神秘性や秘伝や医療効果を唱えている太極拳家は、私は嫌いです。またそれとは別に、頭の先から爪先まで制定拳オンリーで、聞きかじりの「気」を生徒に高説をぶつようなインチキも、嫌いです。

ざっと3つに分けて理屈をこねてみましたが、
正直な所、長く続けていると、こんなのどうでもいいかな…なんてとこに辿り着きます。
要は、自分の先生を尊敬できて、その技術や動きに憧れて、健康をキープできていれば、
なんでも本物であるという事ですね。それが私にとっては陳式太極拳だったという事で。


ああ、そうそう。忘れるとこでした。
なんで陳式太極拳の宣伝をしようとしたかというと、
毎年、陳式太極拳の第一人者である「丁傑老師」をわが県に招聘して練習会を重ねていましたが、
限られた仲間内だけのものだったこの練習会を、広く開放して会派や団体を問わず、
すべての愛好者に発信する事にしたからです。その布石としての宣伝。
来年の話ではありますが、日程や場所等が確定次第、
このブログだけではなく、広く広報活動をしていくつもりです。



以下、蛇足です。お気に障ったらごめんなさい。
自分自身に戒めているのは、套路のコレクションです。
「お教室で二十四式の動きを、そこそこにうまくできるようになりました。さて、次は何をやりましょうか? 扇? 八段錦? うーん迷いますねえ。」
「お教室の先生が、講習会に何回か通って○○式太極拳を覚えてきましたよ。みなさん、二十四式が上手にできるようになったら、次はこの○○式を覚えましょうね。」
これはこれで、需要と供給がそこに成立しているなら、誰も文句のない所でしょう。
でもそれは、時間と汗とお金がもったいないと、私は感じてしまいます。

拳を練って功を練らねば、老いて一場の空となす。
功を練って拳を練らねば、櫓の無い舟と同じだ。
日本の太極拳の黎明期における功労者・研究者である笠尾恭二先生の著書の言葉です。
# by chienstyle | 2011-11-10 17:12 | 練習だ | Comments(0)
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